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茜丸の歴史

あんこと歩んだ茜丸の73年

「豆一筋、あん一筋」。そのモットーを掲げて、茜丸が歩んできた73年は、決して平坦なものではありませんでした。昭和15年(1940年)、北條竜太郎の祖父・北條勝義(上写真中央)が、大阪市東住吉区桑津にて創業。当時の屋号は「有限会社大阪北條製餡所」でした。昭和15年といえば太平洋戦争が始まる前年。昭和14年には砂糖の公定価格制が、15年には菓子の公定価格制が実施され、原材料が常に不足する、非常に厳しい状況下での創業でした。そんな戦時下でも「あんこをお客様へお届けする」という使命のもと、原材料の調達に奔走し製造を続けていましたが、戦況の悪化で操業を中断した時期もあったそうです。
 戦後、製菓用砂糖の配給が復活し、工場も操業を再開。大阪市天王寺区・四天王寺南大門横に工場を移設し、昭和26年には「株式会社大阪北條製餡所」へ改組しました。


赤いダイヤとも呼ばれた小豆は、相場が張られるほど年によって収量・品質等にばらつきがありました。品質の良い小豆の確保には苦心し、北海道まで幾度も足を運び、生育状況や畑の状態を確認してきました。


慰安旅行は社員全員が楽しみにしていた行事のひとつ。日本全国を旅し、地元のベーカリーやや和菓子店の視察にも立ち寄らせていただきました。

よりおいしいあんこを届けたい

戦争を乗り越えて四天王寺南大門横に新設した工場には、社員寮や食堂、風呂場も完備し、年末にはもちつき、秋には慰安旅行と、従業員全員が家族のように苦楽をともにしていました。戦後、焼き立てのパンを販売するベーカリーの開店が相次ぎ、それに伴い、茜丸のあんこの出荷量もどんどん増加。従業員一丸となって「よりおいしいあんこを、より多くの人のもとへ」と、製造・拡販に務めていた時代です。
昭和62年(1987年)には東京事務所を開設、平成元年(1989年)には念願の東京工場も新設しました。



創業以来、味にこだわった製品作りを貫き、レトルト殺菌釜を導入。一般流通商品では不可能とされた「低糖度あん」を開発しました。そのすっきりした上品な味わいは絶大な支持を得、当時のベーカリーでは「茜丸のあんこを使うのは、一流店の証」といわれるほどでした。
そんな茜丸のあんこのおいしさをもっと知ってもらいたいとの思いで、平成10年(1998年)に、茜丸五色どらやき」を販売。上生菓子に使われる最高級の「むきあん」の中に、五種類のかのこを入れた特注あんを使用し、平成12年(2000年)から始めたCMの効果もあって、大ヒット。関西地区で高い知名度を誇るご当地菓子に成長し、百貨店やキヨスク、イオン銘店コーナー等で販売されています。



また昭和51年(1976年)に、「およげ!たいやきくん」のヒットによってたいやきブームが巻き起こりました。茜丸にもたいやき店からのあんこの注文が殺到し、工場は24時間フル稼働。あまりの忙しさに寮へ帰る時間を惜しみ、できあがったあんこを入れる一斗缶に目覚まし時計を入れ(大音量で鳴らすための工夫だとか)、工場の床で寝起きをしていた強者もいたそうです。
第2のたいやきブームといわれた平成20年(2008年)には、再びたいやき店からの発注が激増。以来、多くのたいやき店であんこを使っていただいております。茜丸も直営でたいやき店「茜丸本舗 豆問屋」を開店し、現在も営業を続けています。